2020/11/02~2020/11/08

▼映画

今週は五本観ました。映画館で三本、家で二本。少ねーなー。以下簡単に記録。

 

ALWAYS 三丁目の夕日

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終始薄ら寒いノリの映画であった。みんないい人! お互い支え合う昭和の人情最高! ……いや嘘くせー。ここまでツクリモノ感隠さないの、逆に何か深い意図があるのではと疑うレベル。かりそめの夢見心地に身を委ねたいならここまで相応しい映画もないけど、私は求めてないんで……。ひたすら真顔で観てましたねえ。(というか単純に脚本の出来からして世間で持て囃されるほどのものじゃなくないか?)
役者は本当に一人残らず全員素晴らしい面子だったので、よくこの方々にこんなドッチラケな演出施せるな????? 度胸すげえな????? となりましたね いや〜サブいサブい。

ただ一個、おやと思ったのが、戦争で妻子を失った医者について飲み屋の客が「もはや戦後ではない、か」と複雑そうに呟くシーン。町は栄え、三種の神器が揃い、東京タワーが完成し、それでも帰ってこないものがある。戦争が行われたのなら、その後はいつだって「戦後」、どれだけ過去になろうとも。この映画、「今はいい時代」という価値観が作中でしつこく反復されるのだけど、「過去に取り残されたままの者」を描くことで、無責任に昭和のノスタルジーを振りかざすだけで終わらせないところは本当に凄いと思う。あの時代を美化しすぎというのはそうなんだけど、締めるところはちゃんと締めてる。多分老若男女あらゆる客層に向けて作られた映画だと思うんで、その人たち全員に満足して劇場を出てもらうには、冷やっとした現実を描くのはあの一箇所だけが限界だったんだろうな。決して好きな映画ではないけど、現実から逃げずにきちんと足掻いてる姿勢は評価したい。(まあそれでも美化しすぎだとは思うけどねw その点国際市場で会いましょうは凄かったよな。ラストのファンジョンミンさんの「辛かったよ」という台詞、忘れられない。)

……色々書いたが、とりあえず、DESTINY鎌倉物語と監督が同じと知り、ものすごく納得してしまった。ノリが一緒や!!!!

 

ビューティフルドリーマー

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某伝説的アニメ映画への敬意とオマージュ、そして映画、映画制作そのものへの愛が詰まった傑作。ただラストはもうちょい分かりやすく締めた方が良かったのでは。あと、某アニメ映画観てないとこれたぶん全然面白くないよな。良くも悪くも内向きな、内輪ウケを狙った映画だと思った。私は大好きだがね。

 

ストックホルム・ケース

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フィクションとしてパッケージングされた物語それ単体で観れば大層興味深い。だが「人質→犯人」の共感だけでなく「犯人→人質」の恩情も描いてる点や、警察や役所を面子を保つために動く組織として描いてるところは、小細工を施しすぎじゃない? と思ってしまった。「観客にもストックホルム症候群を疑似体験させたい!」という制作意図があったのだろうし、そういったアプローチで映画制作することも間違いでは無いのだが、事実を下敷きにした作品としてフェアな作りではないなと思ってしまった。果たして実際の事件でも本当にここまで犯人は人質に親切だったのだろうか?

とはいえ緊迫感やリアルさは「狼たちの午後」に迫るものがあったし、脚本もよく練られているとは思う。そしてええ、私もストックホルム症候群にかかってしまいましたとも。催涙ガスこえー。

 

・おらおらでひとりいぐも

個別記事参照。

 

うる星やつら2 ビューティフル・ドリーマー

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最後に観たのはいつ以来だろう? まあお分かりの通り「ビューティフルドリーマー」を観たらもう懐かしくて懐かしくて堪らなくなりレンタルして鑑賞。こういう話って今でこそスタンダードだけど、公開当時はそりゃもう新しい表現だったんだろうな。ほんでみんなびっくりしたんだろうな。高橋留美子先生はお気に召さなかったらしいけれど、「うる星やつら」を読んだ事のない私にはよくわからない。私のなかでうる星やつらビューティフル・ドリーマーだ。そういうファンが一人ぐらい居たっていいと思う。

 

▼音楽

音楽に関してここ数ヶ月で一番充実していた一週間だった。何故か? カクバリズムの文化祭があったからです。

初日のキセルとスカートに泣き、二日目のyamomo初集結に湧き、公募アーティスト枠で出場した幽体コミュニケーションズにキラリと、いやギラギラと輝くものを見、最終日の野音キセル2019にだばだば泣き。涙乾く暇も無いままスケジュールはニカさんの生中継に突入。いのちの記憶でアホほど泣き、幼い子供さんを連れたお客さんへのニカさんの温かい思いやりに涙腺は完全に決壊した。

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この頃はコロナなんかなかったんだな~。配信ライブを楽しめば楽しむほど、生の演奏が恋しくなる。三月に予定しているヤバTのライブ、どうか無事敢行されますように。

そして待望のCDも届いた。

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コゴローズ!! GOGOコゴローズ!!!! ピーズのはるさんがベースを務めるパンクバンドだ。かっこいいんだ。ずっと聴いてるんだ、今も聴いてるんだ。はるさんが無事回復してくださり本当に良かった。ピーズには辛いとき本当に助けられた。はるさんは恩人だ。はるさんがお元気なら私は何も要らないのだ、嘘、ライブのチケットは何が何でも欲しい。コロナ早く収まんないかな。コゴローズ、絶対いつか生で聴くからな!!

 

▼買い物

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妹の誕生日が近いので、就職祝いも兼ね、バーニーズニューヨークでプレゼントを買った。奮発した。今月は霞を食って生きることとする。

 

▼食

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横濱元町の紅茶専門店・サンドグラスで一人お茶。ホットロイヤルミルクティと紅茶のチーズケーキ。大変美味。お値段は多少高いがたまの贅沢にはちょうどいい。行きつけになりつつある。

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マークイズ横浜みなとみらいのj.s. pancake cafeで遅い昼食。きっとカロリーはえらいことになっているのだろうが気にしないことにする。大変、大変美味。しかしお値段もまた大変高いので(パンケーキの相場を知らないが)、今後は特別なときに来ることにする。

 

▼その他

びっくりするほど何もしていない。某滅の刃の影響で新作映画が狭いスクリーンに追いやられていることに嘆き、セリアで来年の映画スケジュール管理用の手帳を買い、アツギの件にげっそりし、あとは惰眠を貪っている。読書も遅々として進まず、創作活動も友人の誕生日イラストを一枚描いたのみ。エウレカセブンは一ヶ月近く前に四話を観たところで止まっている。来週はもう少し実のある七日間にしたい。

 

 

おらおらでひとりいぐも

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かなり散文的というか、はっきりした筋を追うというよりは、作品に身を任せて物語のなかにぐるぐると潜っていくような作品だった。長く感じなかったといえば嘘になるけど、こういう映画も私には絶対必要なんだよな。好きです。

 すわ入る劇場間違ったか?! と誰もが思ったであろうあのオープニングに、マンモスのアニメーション。沖田監督にしかできない表現だな、と嬉しくなった。唯一無二の作品であり、作り手だ。

 唯一無二といえば、主人公の桃子さんのキャラクター造形も、また唯一無二だった。「"おばあさん"って、こうでしょ」みたいな安易なイメージ、ステレオタイプで作られた部分が全くない。どこかにいそうなひとりの生身の人間としてフィルムに活写されていた。例えば「おばあさん」って、「味噌汁はダシ取るところから!」って言いそうなイメージあるけど(古いか)、桃子さんはお湯注ぐカップの味噌汁なんだよね(実際一人暮らしならそれが理にかなってもいる)。他にも、昼間からヤケ酒したり、寝起きがやたら悪かったり。原作の力も多分にあるんだろうけど、こういう、「生きた」描写を目にする度に、ああ、この世界に桃子さん、いるな、と思えた。

 桃子さんの前にある日突然現れた「寂しさ」たち。桃子さんと同じく、私も予告の時点からかなり面食らっていたのだが、結局この映画には「寂しさとどう付き合っていくか」っていうのがテーマの一つとしてあるのかな、と思った。孤独に沈んでしまうのではなく、ある時は対話したり、ある時は羽目を外してみたり、ある時は過去を語って聞かせたり。寂しさをたしなむとでもいうのか、孤独な状況に置かれた時、自分自身を深く掘り下げて内省し、とことん己と対話するときの、あの代え難い愉しさ。作中でも明確に描かれているように、孤独であることは自由を連れてきてくれるものだし、過去の思い出にじっくりと浸るのも、一人だからできることだ。愉快な「寂しさ」三人衆との桃子さんの付き合いかたは、孤独とどう向き合うか、という誰もが直面する命題の答えを示していて力強いし、逆にいえば、あの時桃子さんは、やっと孤独の悲しみが薄れ、寄るべなさのなかでくつろげるようになったのかなとも思った。

 と言っても、ゴキブリのシーンで私はめちゃめちゃ切なくなってしまったんだけどね......。人は一人になることで、致し方なく強くなるんだなって。自分はまだまだです。

 桃子さんは結局、自由を求めていたのか、それとも愛を求めていたのか。それはきっと誰にもわからない。多分桃子さん本人にも。きっとどっちもなんだろうな。どっちも欲しいし、どっちも必要だった。でも少なくとも、自分の心に沿って生きたいように生きる今の桃子さんは、幸せであるに違いない。

 前述した通り、「寂しさ」を必ずしもマイナスなことと捉えない本作だが、「老い」をも悪いことではないと肯定する姿勢に、やはり近年の沖田修一監督の一貫したテーマを感じた。いくつになっても、一人でも、人は新しいことを始められるし、自分らしく生きられる。そして冒頭描かれた壮大な人類史のごとく、生きていればいるほど、老いれば老いるほど、辿った道のりは起伏に富んだ、素晴らしいものとなる。生きるということは、歴史を刻んでいくことなのだ。

 老いを経験したら、きっともっと響くものがあるのだろうなとも思った映画でもあり。なんだかんだ他人事で観てしまったんですよね。祖父母は遠方におりなかなか会えないし、両親もまだ元気だし。自分や身近な人の老いに直面したら、きっともっとジーンと来るのだろう。そしてそれこそが、「老いはマイナスなことではない」というテーマの体現そのものなのだ。老いればもっと実感をもって映画を楽しめる。それが喜びでなくてなんだろう?

 人生の節目節目に、何度も観返したい映画だった。原作も読みたい。