おらおらでひとりいぐも

f:id:gintasoy:20201108102743j:plain

かなり散文的というか、はっきりした筋を追うというよりは、作品に身を任せて物語のなかにぐるぐると潜っていくような作品だった。長く感じなかったといえば嘘になるけど、こういう映画も私には絶対必要なんだよな。好きです。

 すわ入る劇場間違ったか?! と誰もが思ったであろうあのオープニングに、マンモスのアニメーション。沖田監督にしかできない表現だな、と嬉しくなった。唯一無二の作品であり、作り手だ。

 唯一無二といえば、主人公の桃子さんのキャラクター造形も、また唯一無二だった。「"おばあさん"って、こうでしょ」みたいな安易なイメージ、ステレオタイプで作られた部分が全くない。どこかにいそうなひとりの生身の人間としてフィルムに活写されていた。例えば「おばあさん」って、「味噌汁はダシ取るところから!」って言いそうなイメージあるけど(古いか)、桃子さんはお湯注ぐカップの味噌汁なんだよね(実際一人暮らしならそれが理にかなってもいる)。他にも、昼間からヤケ酒したり、寝起きがやたら悪かったり。原作の力も多分にあるんだろうけど、こういう、「生きた」描写を目にする度に、ああ、この世界に桃子さん、いるな、と思えた。

 桃子さんの前にある日突然現れた「寂しさ」たち。桃子さんと同じく、私も予告の時点からかなり面食らっていたのだが、結局この映画には「寂しさとどう付き合っていくか」っていうのがテーマの一つとしてあるのかな、と思った。孤独に沈んでしまうのではなく、ある時は対話したり、ある時は羽目を外してみたり、ある時は過去を語って聞かせたり。寂しさをたしなむとでもいうのか、孤独な状況に置かれた時、自分自身を深く掘り下げて内省し、とことん己と対話するときの、あの代え難い愉しさ。作中でも明確に描かれているように、孤独であることは自由を連れてきてくれるものだし、過去の思い出にじっくりと浸るのも、一人だからできることだ。愉快な「寂しさ」三人衆との桃子さんの付き合いかたは、孤独とどう向き合うか、という誰もが直面する命題の答えを示していて力強いし、逆にいえば、あの時桃子さんは、やっと孤独の悲しみが薄れ、寄るべなさのなかでくつろげるようになったのかなとも思った。

 と言っても、ゴキブリのシーンで私はめちゃめちゃ切なくなってしまったんだけどね......。人は一人になることで、致し方なく強くなるんだなって。自分はまだまだです。

 桃子さんは結局、自由を求めていたのか、それとも愛を求めていたのか。それはきっと誰にもわからない。多分桃子さん本人にも。きっとどっちもなんだろうな。どっちも欲しいし、どっちも必要だった。でも少なくとも、自分の心に沿って生きたいように生きる今の桃子さんは、幸せであるに違いない。

 前述した通り、「寂しさ」を必ずしもマイナスなことと捉えない本作だが、「老い」をも悪いことではないと肯定する姿勢に、やはり近年の沖田修一監督の一貫したテーマを感じた。いくつになっても、一人でも、人は新しいことを始められるし、自分らしく生きられる。そして冒頭描かれた壮大な人類史のごとく、生きていればいるほど、老いれば老いるほど、辿った道のりは起伏に富んだ、素晴らしいものとなる。生きるということは、歴史を刻んでいくことなのだ。

 老いを経験したら、きっともっと響くものがあるのだろうなとも思った映画でもあり。なんだかんだ他人事で観てしまったんですよね。祖父母は遠方におりなかなか会えないし、両親もまだ元気だし。自分や身近な人の老いに直面したら、きっともっとジーンと来るのだろう。そしてそれこそが、「老いはマイナスなことではない」というテーマの体現そのものなのだ。老いればもっと実感をもって映画を楽しめる。それが喜びでなくてなんだろう?

 人生の節目節目に、何度も観返したい映画だった。原作も読みたい。